暮らしの話

団地の暮らしを綴ります

考察

有りもしない隣組の存在に怯え、同調圧力を感じる日々、如何お過ごしですか。

 

本日のテーマは「なぜワクチンを打たないと言いづらいのか」

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まず前提として、私は新型コロナワクチンを接種しない。

理由はざっくり3つある。

①そもそも新型コロナは怖いか?

2020年の日本の全体の死者数は前年と比較すると減少している。ちなみに自殺者は大幅増。

恐ろしい疫病が流行っているはずだが死者は減っている。また、現在の累計感染者数は約80万人。日本に住む約1億2000万人のうち、約1億2000万人が未だ感染していない。そして感染者の大半が回復している。

このことから私は、新型コロナは従来からある風邪ウイルスとさほど差のない風邪ウイルスの一種に過ぎないと考えている。

過度に新コロに怯えている人は、そもそも風邪で人は死ぬということを忘れているのではないかと思う。

 

②ワクチンが信用に値しない。

ファイザーのワクチンの治験が開始されたのが2020年4月、騒動開始からわずか数ヶ月で治験開始。この早さには理由があり、そもそもSARSのワクチンとして開発していたものらしい。(ソース:豊田真由子が言っていた)

しかしそれにしても早すぎないか?

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しかもクーポンとともに届いたワクチン説明書のこの文言。

副反応のデメリットに対して、メリットが薄すぎる。

「周りの人のために」みたいなことを内閣官房は言っているが、ワクチンとはそもそも自分の体調と相談して自分のために接種するもの。

そして体調が悪くなっても自己責任で、製薬会社は一切の責任を負わない契約らしい。

 

③流れは変わらない。

ワクチンの接種をもって、コロナ騒動の幕引きをと考えている人も多いだろう。もはや何かきっかけがないと終われないこの状況で、そう願う気持ちもわからなくはないが、騒動を終わらせる方法は「指定感染症から外す」これしかない。

指定感染症の取り扱いに関しては一般人がどう訴えようが無意味で、私はこの1年それを痛感してきた。私は総務省国交相法務省に現在の風邪予防から逸脱したコロナ対策に苦言を呈し、5月京都河原町で行われた反コロナ対策デモにも参加した。しかし風邪予防から逸脱したおかしな対策は悪化する一方。一般市民の力では流れは変えられない。私が打とうが打つまいが社会には影響はないのだ。

 

さて、それを踏まえて「なぜ打たないと言いづらいのか」だが、ワクチンの話を振ってくる人のほとんどが、相手も打つと決めつけて話を始める。打つかどうかを聞いてくるのではなく、「接種券やっと届いたなぁ」「会社でも打てるらしいよ」「いつ申し込む?」といった具合で、皆打ちたいに決まっていると思い込んでいる。そんな人に上記の理由を説明するのは非常に面倒。あまりにも感覚が違いすぎる。

 

結果、「もう届いたんですか〜、○○市は早いんですね〜」などと言ってやり過ごしてしまう。